2008年11月20日

当然だけど、当事者によって見方は変わる

11/10付けの日経ビジネスで、「巨大流通業 JR(ジャパン リテール)」という特集があり、その中でかなり多くの部分を新宿の駅ビルであるルミネの再生にスポットを当てていた。

日経BPオンラインのアカウントを持っている方は記事がそのままPDFで読めるので、ぜひ次の題名をクリックして読んでいただきたいが、「
乗客を“上客”にするワザ ~テナント店員が感涙に咽ぶ理由~」と題し、新宿の駅ビルとして立地に胡坐をかいていたルミネが、どのようにして若者をとりこにするファッションビルに変貌し、勢いのあるテナントが列を成して出店したがる駅ビルに生まれ変わったのかについて、ショップへの対応、ショップの社員(従業員・販売員)への気配り等、執拗なまでの「売り場主義」を貫いたが故の成功であることが、ルミネスト大会という最優秀販売員を決める内輪の大会を中心に書かれている。

現場主義、売り場主義を貫くことは、マーケティングの本質であり、とても良いことだと思う。お客様があってのマーケティングという意味で。

記事の中で、下記のような記述があった。

売り場の鮮度に対するこだわりは、頻繁に実施される改装にも見て取れる。ルミネは毎年、ショップの約15~20%を入れ替える。5~6年もたてばまったく違う売り場となる可能性もある。実際に新宿の「ルミネエスト」に入居する192店舗のうち、2007年から2008年秋までに新規オープンした店舗は79店舗にもなる。
「お客さんに常にワクワクした気持ちをもっていただきたい」と、花崎社長は狙いを語る。

この箇所を読んだときに、ちょっとした違和感を感じていたのだが、今日全然別の「1万人が怒りの声を上げた『ベルク』立ち退き騒動とは?」を読んで、違和感の元がわかったような気がする。

感じていた違和感は、ルミネはまさに特集のサブタイトル通り『ルミネにとっての上客』しか見ていなかったのではないかということ。
ルミネにとってARPUの低い客は客ではなく、そのような客を相手にしているショップもまた、ルミネにとっての価値は低いのだろう。でなければ、長い年月「ルミネの○○」という店を愛してくれた客と、そのような客を育んでくれたショップを簡単に切ることなどできるはずがない。テナント店員が感涙に咽ぶとき、お客様は悲しみの涙に暮れている。


小さなカフェを愛する1万人を超す署名を無視する形で退店を迫るルミネと、常連客から愛された「ルミネの○○」を守りたいショップの攻防。記事は下記のような形で閉じられている。

こうした客の声をルミネはどのように受け止めているのか。取材を申し込むと、「契約にかかわることなのでお答えできない」(同社広報)との返答。だが、その一方で、ベルク側には、契約が切れる来年3月までに退店するようにとの文書を9月末日付けで送付していた。そして文書には、「退店しなければ、賃貸料を大幅に値上げする」との一文も付記されているという。既に届けられた先の1万人分の署名は無視された格好だが、迫川さんは、年内中にもう一度、新たに集まった署名を提出する予定だと話す。店長も、裁判に訴えずに、あくまでルミネ側の理解を求めていく意向とのことだが、強硬姿勢を貫くルミネにその思いは伝わるのか。成り行きを注視したい。

日経ビジネスとサイゾーの記事を同列で見るなという声も聞こえてきそうだが、記事は記事。本来は双方の立場に立った取材をした上で「こうあるべき」というのがジャーナリズムなんじゃないの?とも思うのだが、そこは突っ込まずにおきつつ...

今回思ったことは、「お客様に上も下もなく、自社ブランド(サービス)を愛してくれているお客様はすべて大切にすべき」というなんだか当たり前の教訓であり、その上で、企業として効率化や売上・利益の最大化をどのように考えていくべきなのかという難題。

答えが出せたら名経営者になれるんだろうか。いや、そもそも誰もが納得のいく答えはないのかもしれない。

2008年11月17日

簡単な話だった(Googleのストリートビュー問題)

このブログでも以前とりあげたGoogleのストリートビューに関する問題。サービスの利便性とプライバシーの保護をどのように両立させるかという問題についてですが、本質的なところを突いた発言(しかも一言)があったのでご紹介します。

「プライバシーの問題に後から対処するのは難しい。合法であっても(ユーザーが)不愉快に思うものは作ってはいけない」

CNETのインタビュー記事の中で、Microsoftのプライバシーに関する政策の責任者であるPeter Cullen氏が語っている一言です(リンクはインタビューの冒頭に飛びますが、引用した発言自体は最後の最後にしています)。


「なんだそんなの、当たり前じゃないか」という意見が聞こえてきそうですが、ボク自身もエントリで長々と「良くない」理由を書いていたのですが、言いたいことはこのことだったのです。自分が書く前にも、いろんな人のいろんな意見を読んだり聞いたりしましたが、これだけ短い文章で的を射た表現に出会ったことがなかったので(他でどなたかが同様の一言を発言していたらごめんなさい)。


Microsoftの幹部が発言しているということのみがちょっとアレなのと、すでにストリートビューだけではなくGoogle Mapのマイマップ機能がデフォルトで全世界公開仕様になっていることも話題になっていて、話はいろいろなところに飛んでいっているような気もしますが、サービスを立ち上げるにおいてはまさに正論であり、サービスを作る上での大前提として肝に命じておかなければいけない一言だと思います。

管理職は誰が育てるのか?

日経ビジネス オンラインに「管理職が壊れる〜企業内“多重債務者”の悲鳴」という記事が掲載されています。

部下の人事評価、セクハラ・パワハラ対策、情報管理、内部統制…。
中間管理職が“多重責務”に押し潰されそうになっている。
仕事が増えても給料は上がらず、やる気はどの階層よりも低下する。
生気のない上司を見て、若手は「管理職にはなりたくない」と言い出した。
組織を支える「ゼネラリスト」の崩壊。日本企業の新たな危機だ。

上記を枕に大企業での事例を交えながら、これからの中間管理職を企業としてどのように育て、どのように扱っていくべきかを問うている記事で、非常に参考になるとともに、とても考えさせられました。

部長や課長といった、いわゆる中間管理職の役割はいくつもありますが、主なものを上げるとすれば以下の3つに集約されると思います(日経の特集では様々な役割を称して多重債務としていますが、突き詰めればこの3つなのではないかと)。

1、自部門の数値目標の達成
2、経営層が唱えるビジョンの末端までの浸透
3、部下の育成、指導(マネジメント)

この3つを同時に達成させることが中間管理職の職務であり、経営層はその3つの達成をある一定の裁量とともに中間管理職に託します。

さて、昨今の日本の企業では、米国に端を発した未曾有の金融危機に巻き込まれまいと、業務の効率化、スリム化を提唱しています。無駄な費用を徹底的に削減し、すこしでも費用を抑えることで原材料の高騰や売上の減少から利益を守ろうと必死です。費用の削減は業務委託費や人件費にも及び、業務委託契約の解除や残業の抑制も命令として降りてきます。

このような状況の中で、中間管理職にはどのような裁量が与えられているでしょうか。
数値目標の必逹、変わらない経営ビジョン、OJTでなんとか育てなければいけない部下達を抱えながら、実際に業務の効率化を行うのは現場の中間管理職なのです。今や、中間管理職に与えられる裁量権とは、費用を削る裁量だけなのです。

そして託された役割のうち、ひとつでも達成できなければ、管理職として失格の烙印が押されてしまう。これで中間管理職のモチベーションが維持できるとは到底思えません。

管理職の士気が下がり疲弊した姿を間近に見た部下達がその管理職に付いて行こうと思うでしょうか。
同様に、自分たちもいずれ管理職になりたいと強く思うでしょうか。
そして、そんな管理職と部下達で構成される職場が高い生産性を発揮できるでしょうか。

ここから先は、以前のエントリで書いたいたことと重複するので、詳細はそちらを見ていただければと思いますが、企業が中長期的な成長戦略を描き、その戦略通りに推進していこうと思う時、最大の武器になるのは中間管理職を含めた従業員なのだということを、もう一度真摯に考えなければいけない場面なのだと思います。

2008年11月9日

Web2.0の梅田望夫さんが変なこと言ってる件

ことの起こりは、著書『ウェブ進化論』で日本中に呪文のごとく「Web2.0」という言葉を流行らせた梅田望夫氏が、自身のブログである本の紹介をしたところ、そこに批判的なコメントが並んだことが発端。
実際のエントリは「水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。」というものです。

そのエントリでコメントが荒れていることにカチンときた梅田氏がTwitterでつぶやいたものを引用すると、

はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ。

そうとうカチンときて、思わず書いてしまったのだと思いますが、この発言が話題になり、いろいろなところでいろいろなことを言われています。

見てわかる通り、このつぶやきは2つの要素から成り立っています。
ひとつは「はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。」という部分、そしてもうひとつが「本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。」という部分です。

後者は至極真っ当な意見であり、これだけ書いておけば誰も何も問題にしなかっただろうし、本も読まずに批判コメントを書いていた人たちも、もしかしたら反省したかもしれません。

ただ、前者がいただけません。
取締役である梅田氏が取締役という立場を離れてそのサービスと利用者(お客様)に対して「バカなもの」というような発言をしている点。

梅田氏は、企業の経営を取りまとめているはずの人間であり、そういう仕組みのサービスを世に出してきた張本人が発言してしまったことが大きな意味を持ってしまいました。

本人からしてみれば「途中から取締役になった」ということを言いたいかもしれませんが、それはお客様にはまったく関係のないことで、取締役を受けた以上、言ってもいけないし思ってもいけないことです(言ってもいないし思ってもいないかもしれませんが)。
そして、取締役である以上、こういったことを考えながら日々サービスや経営のことを考えていかなければいけないのではないでしょうか。

特にCGMやソーシャルメディア系のサービスを提供する上で、最初に仕組み自体をゆるく設定してしまうと、そこでどのようなやり取りが行われ、どのようなコミュニティに育っていくのかについて、サービス提供側がコントロールできる部分は相対的に少なくなります。
自分たちの提供するサービスが自分たちの目指す形、お客様の理想のコミュニティに近づけるように、最初から(途中からでも)ある程度のルールを設定し、ルールにあわない発言や利用者を排除できるようにしておくのもサービス提供者の責任でもあります。

その責任を放棄してお客様を見下したような発言をしてしまうような取締役は、取締役を離れた発言をする前に取締役自体を離れてから発言すべきかもしれません。

お粗末なWebプロモーション事例(NHKスペシャルの場合)

11/10(月)放送予定のNHKスペシャルで、「デジタルネイティブ ~次代を変える若者たち~」というのをオンエアするそうです。

番組自体にも興味がありますが、ジタルネイティブ度チェック(ページ内にボタンあり)というものがあったのでやってみました。


結果は上の画像にある通り、75%。
この数字が何をさすのかは良くわかりませんが、とりあえず「へぇ〜」って思っておきました。


それより、NHKさん。

NHKスペシャル全体を紹介するサイトから辿っていく当該番組案内「デジタルネイティブ ~次代を変える若者たち~」から、「この番組独自のプロモーションページ」へ直接リンクが貼ってないってどういうことなんでしょう?

せっかくインターネット上でプロモーションを行っているのに、お客様の導線をきちっと考えていないから、ネットの特性であるWeb(蜘蛛の巣)の様にお互いがリンクで繋がっておらず、単独のプロモーションサイトが複数存在するだけになってしまっている(番組プロモーションページからNHKスペシャル本体へのリンクはあるけど、そこからは戻って来れないというパターン)。

これって、お客様を無視した部署ごとの縦割りのマーケティングがまかり通ってる証拠なんですけど。


ま、人のことあまり言えないという自戒を込め、「人のふり見て、我がふり直せ」を肝に命じて明日からまた仕事しようと思います。

2008年11月7日

おばあちゃんだけじゃない「知恵袋」

Yahoo! JAPANが日本最大級のナレッジ数を誇るYahoo!知恵袋において、All Aboutの専門家と組んだYahoo!知恵袋×All About プロファイル 専門家回答というサービスを展開しています。

いままでも専門家による期間や質問限定の回答はあったようですが、複数カテゴリ全体且つ131名(11/6現在)もの人数による常設のものは初めてだと思います。

Yahoo!知恵袋といえばユーザー参加型(CGM)の代名詞としてここまで大きくなってきたサービスであり、そこに今回のプロの投入はどういう意味を持つのでしょうか。リリース(お知らせ)から今回の試みに関する肝の部分を引用してみます。
「Yahoo!知恵袋×All About プロファイル 専門家回答」では、「All About プロファイル」に登録する各分野の専門家が、その専門知識を生かして、Yahoo!知恵袋での質問に回答をおこないます。

専門家が回答した投稿については、アバター部分に顔写真、その下へ、「専門家バッチ」が表示され、専門家であることが識別出来るようになっております。
また詳しいプロフィールについては、各専門家のMy知恵袋ページや、投稿文の下へ表示される(参考ページ)から、All About プロファイル個人ページをご覧ください。

この連携により「住宅」「マネー」「法律」「ビジネス」といった専門的なカテゴリへの質問に対してもより的確な回答が期待できます。

引用部分にもあるように、今回の提携により期待される効果としては、下記のようなものが考えられると思います。

1、専門的なカテゴリの質問に対する回答の信頼性向上
2、プロ、アマが同じ土俵で積極的に意見を出し合うことによる全体的な質の向上
3、それぞれのサービス間でのユーザーの対流による新規顧客の獲得

逆に、デメリットはないのでしょうか?

1、プロの参入により、活発に回答していたセミプロ級ユーザーのモチベーション低下
2、CGMが持つ、良い意味でのグダグダ感が薄れることによるユーザー離れ
3、上記1、2が進むことによる、専門カテゴリとその他のユーザー層、イメージの格差

メリットの裏返しを考えると、↑このあたりには気をつけた方が良いのかもしれません。

いずれにせよ、Yahoo!知恵袋CGMサービスを起点として成長していく上で、第2段階に突入したと考えられるアプローチだと思います。

2008年11月5日

ビジネスSNSサービス「CU」


Yahoo! JAPANがビジネスSNSサービスの「CU」を始めました。

現在属している企業や組織を飛び越えて、人材交流の場となるべく「実名」で登録し、議論やコミュニケーションを行っていくサービスとなっています。
もちろん招待制であり、「実名」がルールである以上、変な輩を招待するわけにもいかないし、招待された側としてもそこで暴れまくるのも大人げないという抑止力が働くことになるかもしれません。

mixiやGREE、モバゲータウンといった匿名性を持たせながら、ややもすると個人が識別できて問題になるような日本のソーシャルサービスのあり方に一石を投じる、ある意味潔いサービスではあるかもしれません(まぁそうは言っても、欧米では実名でソーシャルサービスに参加するのは結構当たり前だったりするので、日本だけの潔さに過ぎませんが)。

某掲示板や某つぶやき系サービスではすでにちょっとしたお祭りになっていますが、どのようなサービスに育っていくのか、まずは登録だけでもしておいて損はないかも。

2008年11月3日

企業の成長とステークホルダー(忘れ去られた従業員)

企業を成長させていく上で、経営層は本質的に株主に対して、株主価値や企業利益の最大化をコミットした上で経営を行っていますが、ここ最近の「企業の社会的責任」を考慮した上で、企業は株主だけではなく、株主を含むステークホルダー全体に考慮した経営を行う方向に舵を切っています。

あまり景気の良くないこのご時世において、企業を成長させながら、同時に各ステークホルダーを満足させるにはどうすれば良いのでしょうか。

そもそも、ステークホルダーには、株主などの投資家の他にも、従業員、顧客、取引先、競合、マスコミ、社会全般と、範囲を広げれば際限なく広がってしまうので、ここで便宜上「企業の成長に最も影響を受ける」という条件でステークホルダーを定義し、株主(投資家)、従業員、顧客がステークホルダーだとしたときに、経営者はどのようなバランスで各ステークホルダーに向き合えば良いのか考えてみます。


企業が成長し、利益が増え、株価(時価総額)が向上すると、まず最初にわかりやすい形で利益を享受できるのは株主です。
ただし、株主価値を最大化が従業員の犠牲の上で成り立っているような経営では、ステークホルダー全体に配慮した経営になっていないということになります(詳細は後述)。

また、企業の成長には顧客満足度を向上させることも欠かせません。お客さまあっての商売であるということは、今も昔も不変の定理です。
顧客もまたまぎれもなく企業のステークホルダーですから、顧客満足度を向上させることはステークホルダーに向き合った企業経営のあり様と言えます。
しかしながら、ここでも企業は顧客満足度だけに執着し、従業員の満足度にはそれほど目を向けていない現状があるように思えます。

端的に表現するならば、「顧客の意見を聞き、望むものをタイムリーに市場に投入することで、常に売上を伸ばし、且つ利益率は落とさない」という経営方針が続くことになり、そのためには経営の効率化、無駄な費用の削減、従業員一人当たりの生産性の向上等を行う必要があります。
それぞれはすべて企業としての当たり前の考え方なのですが、効率化し、削減し、同時に生産性を上げることが、従業員の犠牲の上に成り立っていては意味がないのです。というより、長続きしないのです。

最初のうちこそ、従業員の士気は高く、生産性を上げることができても、上がった利益の対価となる十分な収入、あるいは収入以外の満足度向上要因が与えられなければ、それはストレスとなり、ストレスが蓄積すれば疲弊し、モチベーションも下がり、結果として生産性は落ちていきます。生産性が落ちてしまうので、従業員のスキルを上げようと思うのですが、無駄と思っていた教育関連費用は削減してしまったので、十分な教育や研修を受けさせることができない。現場で育てようと思ってもOJTにも限界があります。ならば、新たに従業員の頭数を増やそうとするのですが、利益率を落としてしまうので販管費(人件費)は増やせない...という悪循環にはまってしまう。
結果、長い目で見ると、企業の成長は滞り、ステークホルダー全体の満足度が下がってしまうことになります。

では、株主や顧客の満足度を上げるのと同時に、従業員の満足度を上げる方策があるのでしょうか。
上記のシミュレーションでは従業員の生産性を下げる要素として3つのキーワードを登場させました。ひとつは「ストレス」、つぎに「モチベーション」、最後に「スキル」です。これらのキーワードをもとに考察を続けます。


従業員の感じている「ストレス」は心身両面のものであり、仕事から受けるもの、家庭環境、将来への不安等様々です。これらのストレスを単一の方法で解決することは難しく、総合的なストレス軽減対策を講じなければいけません。

ストレスを軽減させる方法やメソッドは様々なところで語られていますが、それを奨励したり個人に任せたりするレベルを超えて、企業内に専門の部署をおくことが重要です。自分の職場にきちんとした対応部署がある、会社は自分たちの心の健康をきちんと考えてくれているんだという思いを従業員に持ってもらうこと自体が従業員の安心感につながります。
従業員が専門部署に気軽に相談できる環境を整え、従業員のメンタルヘルスを向上させることでストレスが減り、勤怠も向上(欠勤や遅刻の減少)し、仕事の効率も上がっていくことが予測できます。


次に、どうやって従業員の「モチベーション」を高めていくかということについては、わかりやすい報酬面から紐解いていきます。
従業員は前述したようにステークホルダーの一員ですが、企業が成長するに従って、株主価値や顧客満足度は向上していても、自分たちには十分な見返りが与えられていないという不満を抱えています。もちろん従業員の要求すべてに応えることはできませんが、自分がどのようなことを期待され、その期待に具体的にどこまで応えることができたのか、そしてその対価としてどういうロジックで現在の報酬を受けているのかが納得できていることが重要です。

企業が利益を上げているのに、自分(従業員)たちの収入だけは上がらないことを従業員に説明する際に、「企業が成長を続けていき、利益を上げ続けることで、投資家やお客様に喜んでもらわなければいけない。彼らにそっぽを向かれたら会社自体が存続できなくなる。だから効率化し、無駄を省き、生産性を上げるのだ。」と説明しても従業員には伝わりません。逆に従業員は「オレらがそっぽ向いたらどうするつもりなんだ?」と思うことでしょう。

こういった誤解を避けるためにも、企業としての成長戦略をきちんと従業員にも説明し、そのために個々人(の持つスキル)に対してどのようなことを期待しているのかを経営側と従業員側で「握る(コミットする)」ことが大切です。そして握ったことに対して結果を出したものには、きちんとした報酬を与えることが重要になってきます。
企業の成長のために期待されている事柄を理解し、そのことについて経営層と握った約束を達成した場合に、対価としてきちんとした報酬を受けられれば、従業員は誇らしさとともに次の成長に向かうモチベーションを高めることができます。


最後に従業員の「スキル」を高めるために何をすべきか、前述したように職場でのOJTには限界があり、新しい考え方や最新の技術を取り入れていくのに時間がかかってしまうことが多くなります。長い目で見て、業務の効率化や無駄の排除を断行するためにも、従業員のスキルを高めるための教育関連費用はケチってはいけない領域なのです。

よく、「うちは中途採用の即戦力しか採らないから」という企業もありますが、中途採用だからこそ、他社のために特化されている従業員の技能を、いち早く自社の戦力となるように教育(方向付け)していかなければいけません。粒は揃っているのにチームとなると力が発揮できないのは、チームメンバーのスキルセットが凸凹になってしまっているためです。
即戦力として採用した従業員に自社の事業戦略を理解させ、前線で戦うチームの凸凹を整え、どのような業務で彼らのスキルを発揮してもらいたいのかを明示することでミッションの達成までの時間を短縮させます。この「凸凹を整える」ときにきちんとした教育が必要になってくるのです。


企業が中長期的な成長戦略を描き、それを実現させようとする時、多くの役割を担うのは従業員です。
経営者はステークホルダー全体に考慮した経営を行うのであれば、株主、顧客と同様に従業員の働く環境にも最大限の考慮をすべきなのではないでしょうか。

2008年10月31日

確かに絵文字はあった方が良いかもしれないが...

10/30に行なわれたソフトバンクの秋冬モデル発表会で、「iPhoneのソフトウエアバージョンを年内にアップデートさせ、その際に絵文字に対応しちゃうもんね」という言及がありました。

それだけではなく、ワンセグチューナーを別売りし、アプリでワンセグが楽しめるようになる。さらに、ソフトバンクの公衆無線LANサービスであるBBモバイルポイントをiPhoneユーザーに開放し、日本全国Wi-Fiし放題についても発表しました。

確かに、日本におけるケータイ文化(ガラパゴスって表現は嫌い)では、知人とのコミュニケーションにおいてSMSではなくメールが主流であり、且つその中で絵文字の占める役割はとても大きいということは誰もが実感するところですし、iPhoneがなかなか女性に受け入れられない(ホントかどうかソースはないけど)という説明の中に、「絵文字とワンセグとお財布ケータイがないからね」というのはある程度の説得力を持ったまま相当数の評論の中で語られてきています。

その点について、今回の発表で孫社長は下記のように語っています
年内にiPhoneで絵文字の読み書きに対応することも発表した。既存ユーザーでもバージョンアップで利用できるようになる。孫正義社長は「ガラパゴスなどとも言われるが、Appleに一生懸命伝えた。日本では絵文字がないとメールじゃない、と」

駆動時間やワンセグの非対応、絵文字はiPhoneに対する国内ユーザーの不満点として挙げられてきた。孫社長は「これらを3つまとめて解決する」と話している。

これらは、ユーザー(あるいは見込みユーザー)が持つiPhoneへの不満点について、ソフトバンクが本気で取り組んできていることの現れであり、ユーザーとしても万雷の拍手を持って迎えたいところだと思います。


が、しかし、絵文字もワンセグもお財布ケータイ(これはマダ)も良いのですが、もう少し実用に即した不満点を解消する方向に持っていっていただきたい。

個人的な見解になってしまいますが、絵文字もワンセグも「あれば使う」かもしれませんが、なくて不便かというとそうでもない人も多いのではないかと。

それよりも、「コピペできないのは致命的だろ」といまだに思うのですが、いかがなものでしょうか。

Appleに自ら働きかけて絵文字を搭載させたくらいの影響力を持っているのであれば、その影響力をもう少し発揮していただき、なんとかiPhoneでコピペできるようにしてもらいたいなぁという1ユーザーの心の叫びでした。

2008年10月30日

Google Mapの経路検索が今度こそ公開

iPhoneに標準装備されていたGoogle Mapアプリで、以前手違いなのかティザーなのか、一瞬だけ(ピンポイントで10/2だけ)できていた2点間の経路検索が、どうやら通常の機能として使えるようになったようです。

ということで、試しにやってみました。
1枚目の画像は家(東京都調布市在住)から千代田区にある国会議事堂までの経路を検索した結果が表示されたところです。

緑色のピンがhomeで、赤色のピンが目的地である国会議事堂です。その間を紫色のラインが結んでいますが、これがGoogle Mapの選んだオススメ経路ということでしょうか。



画像の右上にある「開始」をタップすると、Mapがググッと詳細表示になり、通りの名前を表示してくれたり、右折・左折の指示、次の経由地までの距離を出してくれます。
2枚目の画像が、その詳細案内図ですが、右上にある矢印をタップすることで、順番に経路をたどっていくことができます。



ということで、非常に便利、且つおもしろいので、いろんなところまでの経路を探索してしまうのですが、難点(要望点)もいくつかあげられます。

1、経路が1種類しか提示されない点(裏道とかも使いたい...)
2、高速道路が優先されてしまう点(徒歩や自転車での移動時とか...)
3、一方通行が考慮されてしまう点(      〃       )
4、道路のみの経路が提示される点(電車や地下鉄でも移動したい...)
5、詳細経路情報の際の地図の縮尺が1種類しかない(全体の流れを見たい...)
6、渋滞情報(VICS等)に対応していない(都心で車だったら必須かも...)

どうしても、車での移動を最優先に考えられているという印象が強いです(その割にはVICS未対応ですが)。

日本で、且つビジネスで活用するとなると、電車や徒歩での利用も想定したアップデートが望まれるところですね。

2008年10月28日

Google Earth(iPhoneアプリ)

名称:Google Earth
カテゴリ:旅行
値段:無料
個人的評価:★★★★☆

満を持してGoogleからGoogle EarthがiPhone/iPod touch向けのアプリとして登場しました。当然無料です。

PC向けのGoogle Earthよりも解像度が低い点と、ストリートビュー、建築物の3D化などの一部機能が実装されていないようですが、GPSや加速度センサーの活用等のオリジナル機能も含めて、基本的な性能としては合格点が与えられるんじゃないかと思います。

ただ、重いですね。あと頻繁に落ちます。
iPhoneのメモリだとこれが限界なのかもしれませんが、このあたりは今後のアップデートに期待したいところです。

ということで、画像を含めて簡単に利用の流れを確認してみましょう。


これが起動時の画面です。四隅にマークがありますが、このうち左下のマークを押すと、GPS機能によって現在地を判断し、その場所にズームしていきます。


これがズームしている最中の画像です。


そして東京都港区付近を表示しました。

もちろん、画面上でのピンチイン・アウトによる地図の拡大/縮小や、フリックやドラッグによる地図の移動などもできます。そこはGoogle Mapと同じですね。

ちなみに、四隅のボタンはそれぞれ下記のような機能を持っています。
左上:検索
右上:北を上にして表示
左下:現在地を表示
右下:各種設定

では、左上のボタンを押して、「東京ミッドタウン」を検索してみます。


ミッドタウンが表示されました。
ちょっと地図自体が古いものを使っているらしく、まだ建設中です。この辺はPC版と同様ですね。
 
検索に連動したアルファベッドのポイントと「W」のマークが表示されていますが、この「W」マークはWikipediaと連動しているようです。その「W」マークをタップすると下のような画面に切り替わります。
 
 
Wikipediaの「東京ミッドタウン」に関する項目が表示されています。
 
 
同様に、アルファベットをタップすると検索キーワードに連動した形で、食べログの関連項目が表示されるようです。

次に、iPhone/iPod touchならではの加速度センサーを利用した機能の紹介です。
PC版でも、真上からではなく目線を変えて3Dで地形を眺めることができるようになっていますが、iPhone/iPod touchでは本体を傾けることによってそれを実現しています。
 
 
この画像は、富士山を斜め上から見た形で表示されています。
Google Earthで富士山を表示させて本体を傾けるだけで、いろいろな角度で富士山を眺めることができます。

もちろん、こういった斜め上からの画像(オートチルト)や境界線、地名、Wikipediaのマーク(ジオグラフィック ウェブ)等は画面右下のボタンをタップして出てくる設定画面で表示の切り替えが可能です。
 
 
これは、境界線、地名、Wikipediaマーク(ジオグラフィック ウェブ)をONにしている状態です。

 
 
これは、同じ画像ですが、境界線、地名をON、Wikipediaマーク(ジオグラフィック ウェブ)をOFFにしている状態です。
自分の使い方によって切り替えると便利だと思います。


現状ではとても重いのと、頻繁に落ちたりするので(ぼくだけの現象かもしれませんが)、今後の改善に期待を込めつつ、星は4つとさせていただきます。

2008年10月20日

利用者不在型マーケティングの末路

日経ビジネスに掲載されている「敗軍の将、兵を語る」のコーナーで、オーマイニュース前社長(元編集長でもある)元木氏の「市民メディア、収益化できず」というインタビューが掲載されていた。

最近、似たような記事を読んだ記憶があるなぁ...と思い、いろんなサイトをザッピングしながら探していたら、同じ日経BPのサイトに見つけた。「CNNの市民ジャーナリズム・サイト「iReport」の大失態:瀬口範子「シリコンバレー通信」」というコラム。

前者は、韓国では自由な報道が制限されている(ように思える)という特殊要因から市民にジャーナリズムの意識が高まり、大統領選にまで大きな影響を与えるまでに成長したシステムを、鳴り物入りで日本に導入し、一気に根付かせようとしたが国民性の違いや経営力の欠如等の問題が重なり、現状では当初考えていたビジネスモデルのまま続けていくことを断念せざるを得ない状況に陥ってしまったと悔やんでいる。

そして後者では、市民に開かれた新しいジャーナリズムを自ら先頭に立って実現させていくというイメージだけが欲しかったCNNが、市民ジャーナリストの発信する真贋がはっきりしない記事に対する「杜撰な管理」と、本当に大事にしなければいけないはずの読者が受ける可能性のある「誤解」を事前に警告していなかったことから生まれた大失態について述べている。

奇しくも、日米で同じような市民参加型のジャーナリズムというもののあり方についての記事が続いている中、瀬口さんも書かれているように「市民ジャーナリズムは信用ならない。根こそぎ廃絶すべき。」という一足飛びの議論にならないようにすべきである。

オーマイニュースとCNNの失敗は、市民ジャーナリズムの成熟さ云々というところに根ざしているのではなく、記者を含めた利用者不在のプロダクトアウト型のマーケティングを行ってしまったことに原因があるのではないだろうか。

良いものを作って出せば売れるというプロダクトアウトの考え方を全面否定するつもりはないが、単純に「あっちで良かったから、こっちでもやろう」という安易な導入(あるいはヘタクソなプロダクトアウト)の仕方ではマーケットに受け入れられる可能性は低く、下手な鉄砲になりかねない。
利用者(お客様)はどのくらいの規模存在して、なにを望んでいるのか? はたして今回考えているサービスはそこにフィットするのか? そう言った利用者の立場に立ったモノ(サービス)作りがされていないことに一番の原因があると思われる。

近頃騒がれている携帯サイトやSNSの健全性の議論にも似た、利用者不在の考え方を改めない限り、自然発生型ではない形で新しいサービスを作り出していくことはとても難しくなってくる。

2008年10月18日

「死ぬことと見つけたり」(上・下) 隆 慶一郎

いろいろな本を読みますが、髷(まげ)モノも結構好きです。

その中でも今回ご紹介する「
死ぬことと見つけたり(上・下) 隆 慶一郎」は、何回も何回も読み直してボロボロになってしまったので、新しいものを買ってまた何回も読んでいるくらい好きです。

物語は、江戸期の佐賀鍋島藩の浪人を主人公に描かれているのですが、この主人公が無茶苦茶な人物でとにかく面白い。男として面白い。

例えば、武士の生き方として、「朝、起きる時、布団から出る前に一度死んでおく」のだそうです。それも毎日違う死に方をする。考えられる限りの死に方をなるべく克明に、痛さ、苦しさも含めて体験しておく。
そうして毎日、朝一番に一回死んでおくと、その後なにがあっても怖くないんだそうです。戦で鉄砲の弾が当たりそうな前線でも「ああ、一度経験したことがある。最初にちょっと熱いだけで死に方としては楽なもんだ。」みたいな事を言いながら銭湯にでも行くように飄々と相手に向かっていく。

常住坐臥(じょうじゅうざが)、常に死人(しびと)となっておくことが重要なのだそうです。
生きている人は、生に執着するあまり死ぬことを恐れ、力を出し切れない。そこへいくと死人は既に死んでいるのだからなにも恐れない。刀を持っている腕を切られれば足で蹴り倒し、足も切られたら這っていって相手の首を歯で噛み切る。そんな死人が武士の原点なのだそうです。

ネイティブ・アメリカンたちが「今日は死ぬには良い日だ」なんて言い方をして、カッコイイ生き方だなぁなんて思いますが、ぼくはこの本の主人公に対して、それと同じような憧れにも似たイメージを持っています。

毎朝一回死んでおく。というのは物騒ではありますが、そのくらいの気構えで生きていくと何でもできるんだよ。といったメッセージなのかもしれません。

ちなみにこの本は、武士の教科書とも言われた『葉隠れ』という難しい本を、作者である
隆慶一郎氏が独特の人物描写で痛快に書き上げたものです。

氏はかなり高齢になってから作家に転身したこともあり、未完の作品が多いのですが、この本もそのひとつで、最後の一番良いところで物語りはぷつっと終わってしまっています。
ただし、氏が病床で記したメモと編集者へ口頭で伝えたプロットを追いかけながら、最後は「こうなる(と思う)」という形で一応終わっているので、しらけることはありません。

すっきりとした読後感が得られる、良い本だと思います。




2008年10月15日

【Blog Action Day】 貧困について考えてみる日

「Blog Action Day」という取り組みがあります。

これは、「世界中のブロガーや、ポッドキャスター、ビデオブロガーが、年に一度、同じ日に同じ話題について取り上げるということに挑戦している非営利のイベント」なんだそうです。

で、今年は10/15に「貧困」をテーマとしたブログを掲載し、世界の貧困撲滅に少しでも協力できれば良いということと、また、こういったイベントがどれだけのパワーを持つものかを計測していくという2つの目的があるようです。

前者の貧困撲滅のために力を合わせるという目的には諸手を挙げて賛成しますが、それでブロガーやらポッドキャスターやらが、どれだけすごいパワーを持っているか計測云々ということにはまったく興味ありません。

良いことだと思ったら協力するだけ。以前に別のブログでのエントリでも書きましたが、困っている人がいて、自分が1円でも1セントでも役に立てるなら行動しましょうということだと思います。

このイベントの趣旨にもあるとおり、今回のテーマで得られる報酬がある場合はチャリティして欲しいとなっていましたが、ぼくのブログでは報酬なんていまのところゼロなので、買い物して余ったポイントで気軽に寄付を行なうことができるYahoo!ボランティアのネット募金にすずめの涙ほどですが寄付してみました。


下記は
Yahoo!ボランティアのインターネット募金で「貧困」で検索したときの上位5案件を掲載しました(終了したものを除く)。
これら以外にも募金できる案件はたくさんありますので、もし興味がありましたらどうぞ。

児童保護募金:ワールド・ビジョン・ジャパン
今日、貧困や災害、内戦など社会環境の変化の中にあって、最も影響を受け犠牲となるのは、身を守るすべを知らない子どもたちです。ストリート・チルドレン、エイズ遺児、障がいをもつ子どもたちなど、弱い立場にある子どもたちのためには、その声なき叫びに耳を傾け、それぞれの状況にふさわしい支援を行う必要があります。この子どもたちを我が子のように慈しみ、その健全な成長のためにきめの細かい支援を行う。皆さまからの児童保護募金により、これが可能となります。

ラオス児童に初等教育を!:日本民際交流センター
ラオスは、途上国であると同時に重債務貧困国という厳しい状況にあり、国民の80%は自給自足的な農民です。小学校5年間は義務教育ですが、全国平均の入学率こそ60~70%はあるものの、卒業率は40%程に落ち込みます。特に日本民際交流センターが教育支援を行っているラオス中南部の遠隔地農村部では、子どもは一家の労働力とされ、農作業や家事手伝いなどのために勉強を続けられないことが多く、10人のうち、1人か2人しか卒業できない地域も少なからずあります。

「地球のハラペコを救え。」WFPの学校給食プログラム:国連WFP協会
国連世界食糧計画(WFP)は、飢餓と貧困の撲滅を使命に食糧支援を行う、国連最大の人道支援機関です。WFPは過去40年にわたり、開発途上国で「学校給食プログラム」を実施しており、2006年は、2,020万人の子どもたちが学校で学びながら食糧支援を受けました。WFPは、栄養価の高い給食を提供して、子どもたちの発育を助けるとともに、子どもたちの教育を後押しします。教育の機会拡大は、読み書きのできる自立した成人の育成につながり、ひいてはその社会、国の繁栄に貢献します。

カンボジアの児童養護施設へ温かいご支援を:JHP・学校をつくる会
「幸せの子どもの家」(CCH=Center for Children’s Happiness)は、2002年にカンボジアで創設された児童養護施設です。当初はゴミ山でゴミを拾って働く子どもへ就学の機会を与えるために創設されました。現在では親から虐待を受けたり、貧困によって親から育児を放棄されたりした子どもたちも一緒に楽しく生活しています。このCCHに暮らす子ども達が楽しく生活を送れるよう、皆さまからの温かいご支援をお待ちしております。

働く子どもたちが学校に帰るまで:アムネスティ・インターナショナル日本
インドは世界で最も多くの児童労働者を抱えている国です。その数は1億人に上り、さらに親の借金で奴隷状態で働いている子どもたちは1000万~1500万人いると報告されています。
貧しい親が子どもの労働を担保に少ない金額のお金を借り、農業や工場、サーカスや性産業または普通の家庭の家事労働などに雇われますが、高額の利子のために借金を返し終わることは簡単ではありません。労働で子どもたちは教育の機会を奪うことが、さらなる貧困のサイクルを生みます。

「やらない善より、やる偽善」です。

2008年10月13日

リーダーシップ

10/9付けの日経BPオンラインに、品川女子学院 漆 紫穂子校長先生の「人生は変えられない、目標は伝わらない。というコラムが掲載されました。下記に冒頭部分を引用します。


私は、1989年に品川女子学院に国語の教員として着任しました。今はこの学校の6代目校長として仕事をしています。毎日生徒や親御さん、そして学校の教員たちとコミュニケーションをしていくうちに、いくつかのことを学びました。今回はその中でも、大きな3つのことをお話したいと思います。それは、

1)人は変えられない
2)目標は伝わらない
3)人は管理できない

ということです。これを前提に、学校運営をするように心がけています。


詳細は原文を読んでいただくとして、大きな3つのことに関して若干補足すると、以下のようなことを言っているのだと思います。

1)人は変えられない、だからやりたいと思えることをやらせる

2)目標は伝わらない、だから自分たちで目標を考えさせる

3)人は管理できない、だから準備をした上で個人に任せる


リーダーには大きく分けると「カリスマとして自らのビジョンを強烈なリーダーシップを発揮しながら実現させていくタイプ」と、「調和を重んじ、全体のバランスを最適化させながら、目指すべき方向へ導いていくタイプ」があると思います。

前者の代表が例えば日産のカルロス・ゴーンであり、ソフトバンクの孫正義であるとすると、漆先生は明らかに後者のタイプです。


どちらのタイプが良い悪いということを言いたいのではなく、このコラムを読んでいて、ふと「何千人、何万人というメンバーを抱える組織にこのやり方って通用するのかしら?」という疑問がわいてきたのでした。


ある程度小規模で、全員がひとつの目標に向かって邁進することが可能な場合はとても良く機能すると思うのですが、大規模な組織においては、各部門で異なるミッションを抱えている場合も多く、それぞれが自分たちにのやりたいことをやったり、自分たちで目標(到達点)を決めてしまったり、個人に任せた仕事の進め方をしたりしていては、それこそ組織全体としての目標到達はおろか、組織全体の最適化すらできなくなってしまいます。

積み上げ論として、積み上げの総和が組織全体の目標とバッチリ合致すればそれに越したことはないでしょうが、それは組織が大きくなることと比例して難しくなっていくはずです。


つまり、漆先生の提唱するやり方は、組織が大きくなっていくに従ってどこかで破綻し、結局は求心力を持つリーダーが自らのビジョンを明確に提示し、組織をまとめあげていかなければならなくなる。


ということになるのかなぁ...

2008年10月11日

「マーケティングの目的」と「仕事の進め方」

世の中にマーケティングの本はそれこそ掃いて捨てるほどあって、その中にはいろんなことが書いてありますけど、「マーケティングの本来の目的ってなんなの?」って聞かれたら、それは「利益の最大化」なんです、たぶん。

「利益の最大化」を目指し、そのために行う活動を総じて「マーケティング活動」と呼ぶんだと思ってます。


「売上の最大化」ではなく「利益の最大化」なのがミソで、売上を大きくするために大きな金額を投入したとしても、ROI(投資利益率、費用対効果)が低い、あるいはマイナスで逆鞘になってしまっては意味がない。売上は増えたけどやらない方が儲けは出てたね、では本末転倒だし。

いかに最小のコストで最大の利益をあげるかというのがマーケターの腕の見せ所なんだろうなと。


「当たり前のことじゃん」って気もするのですが、最近この辺のことがわかってない人が多いなーと感じてます。

簡単に言ってしまえば、マーケティング活動とは、大いなる目的(利益の最大化)のために方針(戦略)を固め、その方針の中で局地戦(戦術)を戦っていくということになるのですが、その局地戦(戦術)の中の更に細かい手段とか作業みたいなもののために仕事をしている人が多いです。


例を挙げると「新規顧客獲得のためのキャンペーンを実施し、その認知拡大のために広告を打つ」ことになったときに、広告の担当者は「広告を打つ」ことを目的としてしまいがちになります。「よーし、すげぇ広告を作ってやるぞ!」と思うわけです。

本来の目的は新規顧客を獲得して売上を増加し利益の最大化を目指すことなのですから、この担当者はすげぇ広告を作るよりも利益の最大化につながる広告を作ろうとしなければいけないのです。

広告を打つことは、目的を達成させるための一手段に過ぎなかったのですが、いつのまにか目的と手段が入れ替わっちゃうんですね。


マーケティングに限らず、仕事の進め方というのは、本来の目的達成のための膨大なタスクを、複数の人たちで分担しながら推進し、成し遂げていくものだと思います。

この時、目の前にある仕事に一生懸命になるのはもちろん良いことなのですが、その作業をこなすことだけを目的とせず、本来の目的は更にその先にあるんだということを理解しながら仕事をしないといけないんだろうなと思ってるわけです。


これがわかってる人と、わかってない人とでは、もちろん仕事のできも違いますし、同じくらいのスキルの人でも、その後の伸び方が全然違ってきます。まぁ近視眼的に目の前の仕事を言われた通りにやろうとしてる人と、現在の仕事の先を見つめながら、壮大な目的にベクトルをあわせながら仕事を進めている人では違って当たり前でもありますが。


背筋を伸ばして先を見越しながら、全体の中の部分である目の前の仕事を完璧に推進していけるようになりたいものです。


自戒を込めて。

遅ればせながらGoogleのストリートビューについて

Googleの社是というかモットーには「don't be evil(悪行にはかかわらない)」というのがあったと思うのだけど、最近のGoogleのやり方って、どっちかというと悪行を率先してやってるように思えてならない。


図書館プロジェクトあたりまでは「やんちゃだけど、すごいこと考えるなぁ」って思ってたのが、YouTubeくらいから「あれ?言ってることとやってること違わない?」って思い始めて、今回の日本でのストリートビュー公開では「うーん、ちょっとそれ行き過ぎちゃうの?」という感じ。



いわゆる『グレーゾーン』ってどこにでもあると思いますが、古式ゆかしい日本文化を重んじる企業なんかだと、グレーゾーンに引っかかるサービスを提供しようとする場合、利用者や権利者のコンセンサスをある程度とってからリリースに踏み切るはずで、とりあえずドカーンと公開してから、気に入らないところがあったら依頼してくれれば削除しますよという今回のようなやり方はまずしない。

極論すると「やあ、我々の文化圏では家の中には靴を履いたまま入るんだ。」と、人の家に土足で上がり込んでおいて「気に障ったら言ってくれ、脱ぐから。」と言っているように見えてしまう。


この部分が非常にムカつく要素なのではないかと、個人的には思っているわけです。



もちろん、公道上で写真を撮ったりするのは自由だし、Web上で公開することも自由(企業が勝手にやって良いのかどうかは疑問)なんだろうけど、イヤなものはイヤなんですっていう人が多いんでしょうね。それもまた自由ではあります。だから、イヤなら削除しますよとしているんだけど。


そして、ここでまたもうひとつのムカつく要素が顔を出す。Googleはユーザーに対して「基本的にストリートビューで写真を確認した上で、気に入らなかったら申告してください。その画面上でできるようになってますから。」と突き放した態度をとってしまった。

ストリートビューの撮影対象になった地域の住民全員がインターネットに接続できることが当たり前のように。


まぁ、たしかにインターネットにもつなげられず、自分の家や家族がどんな晒され方をしているか確認できないような奴らはユーザー様でもなんでもないと考えているのかもしれないけれど。


この辺もきますね、たぶん、カチンと。



やっていくことがどんどん大きくなり、世間(世界)に対する影響力もどんどん大きくなっていく中で、今後Googleがどのようにして大人の企業になっていくのか、興味津々です。